5世紀中頃に造られたと考えられている全長90mの前方後円墳です。
総量34kgという大量の朱が使われているなど、最高級の豪華葬であったことも判明し、海人部(海部郡)の歴史を知る上で重要な遺跡であるとして調査が続けられています。
国指定史跡の前方後円墳です。
寛永18年(1641)、熊本藩主の細川光尚公の協力を得て開設。
参勤交代の際に休憩所として使われた書院、御殿など、江戸時代の伽藍をそのまま残しています。
巨大な輪蔵を内蔵する経蔵もあります。
(県指定有形文化財)
佐賀関のシンボル「関の権現様」として親しまれている早吸日女神社は、歴史と漁業のまち佐賀関の中心部にあり、海上安全の神・厄除開運の神として古くから、佐賀関は元より、海に携わる多くの民の信仰をあつめています。
詳細情報を見る初代の名通上人が15歳のとき、父親順信と共に船で門司に向かっていたが、風波のため、佐賀関の古宮に上陸、古宮のお宮に参拝し、名通上人はそのまま当地に残り住みつき、元和元年(1615年)に父親順信が建てた沖ノ島の徳応寺を佐賀関に移し再建しました。
詳細情報を見る四国の佐田岬灯台と向かい合う形で、瀬戸内海と外洋を結ぶ速吸瀬戸は、潮流は激しく渦巻き、暗礁も多く航海の難所であるが、航海の道しるべとして関埼灯台は、明治34年(1901)に設置、点灯されました。
県内では最古の灯台で令和4年6月に登録有形文化財に登録されました。
桜の名所(日豊海岸国定公園)のほか、灯台周辺は自生の椿が約800本、順に咲き訪問者を迎えます。
佐賀関の半島の先の方に関崎海星館があり、さらに突端に関崎稲荷神社と灯台があります。
その灯台の近くに、関崎地蔵はあります。
養老年間(717~724年)に、役小角(えんのおづぬ:修験道の祖)により航海安全を祈願して祀られたことから「波除地蔵」の名があり、また「地蔵崎」とも呼ばれています。
※関崎海星館のリニューアル工事に伴い、当面の間、ご覧いただけません。ご了承ください。(2022/10/17更新)
海星館が生まれ変わりました!
令和5年7月21日(金)に、JX金属 関崎みらい海星館がリニューアルオープン!
ぜひお越しください。
「白黒と 争う碁洞(ごとう)劫ノ浦(幸之浦) 波より他に 打つ人なし」の句です。
肥後の殿様がこの碁石の浜で詠ったといわれるもので、白黒の碁石浜の地名をうまく織りこんで詠っています。
【カフェ「桃花流水】
※現在cafe桃花流水は通常営業いたしておりません。(令和4年12月26日更新)
テーブルと脚は酒造りで使われた酒樽の蓋とせいろを使用するなど、什器や家具、装飾に至るまで帆足家に代々伝わるものをしつらえています。
かつての文人墨客が愉しんだ遊び心溢れるサロンの雰囲気をそのままに。
帆足本家がその才能を認め、パトロン的存在となった江戸時代の文人画家田能村竹田(たのむらちくでん)。
彼の作品からイメージした店名「桃花流水」は現在の理想郷の意。…