古宮古墳は、大分自動車道のインターチェンジから東に約1.3キロ、
椎迫丘陵の南斜面の中腹に作られた南北約12.5メートル、東西約12メートルの方墳です。
墳丘は土砂の流出などによって石室が露出している部分があるなど、本来の姿は失われています。
古墳の造られた時期については、石室の形態などから7世紀中頃~後半と考えられ、
埋葬された人物は、石室の特徴から大和政権と深く関わっていた人物と推測されています。
その有力な候補者として、「日本書紀」に壬申の乱(672年)で活躍したことが記されている
大分君恵尺・稚臣という2人の豪族のうち、その功績によって高い冠位を授かった恵尺が
有力視されています。また、古宮古墳は南側に川が流れ、背後に山を背負う場所にあり、
風水を取り入れて場所を決めたものと考えられています。
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