上野丘台地東端の凝灰岩の崖に刻まれた石仏で、岩薬師(いわやくし)とも呼ばれてます。
昭和9年(1934)に国指定史跡となり、県南の臼杵石仏と並ぶ大分県を代表する磨崖仏です。
伝説によれば敏達(びだつ)天皇の時代に、百済から来朝した日羅の作と伝えられていますが、具体的な史実を背景にしたものではなく、初期仏教集団の地域的活動によるものと思われます。
木造瓦葺の覆堂の中、露出した溶結凝灰岩の岩肌に薬師如来坐像を中央に、左に多聞天〔たもんてん〕立像をはさんで、
その妻子とされる善膩師童子(ぜんにしどうし)と吉祥天像が左右に、
右に不動明王をはさんで左右に矜羯羅〔こんがら〕、制?迦〔せいたか〕の二童子が刻まれています。
薬師如来坐像は高さ約3メートルで、丸彫りに近い厚肉彫りに刻みだされています。
肉髻(にくけい)は高く、地髪部にかけての螺髪(らはつ)は整然として、丸い顔面に弓状の眉、厚いまぶたに切れ長の伏せ目、花弁の形をした小児のような唇、
豊頬は優しく美しく、穏やかな童顔は、定朝様の伝統を踏襲しており、近年の研究によれば、11世紀後半の造像で、このころ元町付近は「勝津留畠(かちがづるはた)」と呼ばれ、宇佐神宮領に組み込まれており、同宮の強大な後ろ立てによる造立と考えられています。
堂外の向かって右側には、ほとんど摩滅風化した三尊形式の像が二組残されています。
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