日本庭園風の優雅な公園内には殉教記念碑と説明板が建てられ、豊後国におけるキリシタン殉教の歴史を教えてくれる。 かつて、府内の地は国主大友宗麟が保護したため、キリスト教が目覚しく繁栄したところである。 それだけに、ひとたび禁教の嵐が吹きすさんでは、その被害も大きく県下いたる所に尊い殉教の血…
昭和26年、大分市の戦後復興計画の一環として整備されました。 公園には大分の南蛮文化を紹介した彫刻などが350mにわたって設置され、市民に広く親しまれています。 ★ 遊歩公園の屋外彫刻群 ★ 聖フランシスコ・ザビエル(佐藤忠良 作) 西洋音楽発祥記念碑(富永直樹 作) 伊東ドン・マ…
肥後藩主加藤清正公が、関ヶ原の戦功により授かった豊後鶴崎と熊本を結ぶ肥後街道です。 後に肥後藩主の細川公も参勤交代の道として利用しました。 その一部である石畳の道が今市に現在も残っており、当時の面影を色濃く残しています。 通称「今市の石畳」は、豊後岡藩の宿場として中川氏によって設けられ…
「花」がテーマの、明るくて楽しめる公園です。 若草公園は平成5年度から始まった公園リフレッシュ事業の第3弾目として、「ふないアクアパーク」、「ジャングル公園」に次いで整備されました。昭和27年に開園したこの公園は、大分市でも最も古い公園の1つで、市街地の中心に位置することから、催しものなど多く開か…
市内中心部の近くにありながら森林浴を楽しめる場所として、墓地の参拝者以外にも散策をする人々などに利用されています。
平和市民公園の中にある庭園で、大分市と友好都市の中国武漢市の締結5周年を記念して建設されました。 中国古典建築で作られた庭園(別名:国際交流広場)は、梅の名所としても知られ、市民に親しまれています。
別府市との境界近くにあり、「おさるの山」として有名な標高628mの高崎山の山頂に築かれています。 文和4年(1355)、足利尊氏にしたがって北朝に属した8代大友氏時に対して、南朝の懐良親王軍が日田から攻め込み、玖珠、由布、狭間を経て、国府(大分市)をおそいました。 この攻撃に大友館はひと…