【レストラン「桃花流水」】 大正5年、蔵から洋館へと姿を変えた洋館は、当時は来客の応接室として使われていました。現在は、レストランとして、営業しています。 大分市戸次地区は、肥沃な土地に恵まれ、特にごぼうの産地として知られています。レストランでは、名産のごぼうと発酵を主にした「元気が出る発酵ごぼ…
松平忠直(一伯)卿の墓が王子西町の浄土寺境内にあります。 山門をくぐると左手に松平忠直卿の霊廟があり、霊廟の扉や蟇(かえる)股・瓦などに葵の紋が見られます。 墓石は新旧二基ありますが、正面のあたらしいものは改造したもので、「故越前国主従三位参議西巌院殿」と刻まれいてます。 もとの墓石は廟内右側…
高瀬石仏の西約1.5キロメートル、七瀬川北岸の丘陵中腹の南面にあります。 この石仏は他の石仏と異なり、外気を防ぐためか板戸を使用していたと思われる 石窟内に造顕された珍しいものです。 造立年代は鎌倉末期から室町時代にかけてと思われます。県指定史跡です。…
約1600年前に活躍した海部民(あまべのたみ)の首長が築いたとされる古墳です。 国史跡に指定されている県下最大級の前方後円墳で、中心に海部古墳資料館などがあります。
鶴賀城は、利光山にあり利光城とも呼ばれていました。 散策コースがあり、途中から未舗装になります。 城址には、のろし台跡や穀物庫跡、二の丸、三の丸などの表記があります。 本丸跡は立派な石碑があり、合戦のあった戸次川が一望できます。 …
※令和5年7月末まで修理を行っております。(令和5年3月7日更新) 大分県の代表的な直家(平面が長方形)で、18世紀後半に建築されたとみられ、 大分市最古の民家です。 茅葺寄棟造りで、西面しており、土間・板の間・広間、座敷と並び広間の裏側に 小部屋2室を置いています。 県下では年代の古…
九六位山の頂上近くにひっそりとたたずむ円通寺。 古文書に記された由来記によると 「異形の人イノシシに乗りに来たり、九六位山開山の沙門日羅上人に告げて曰く 『われはこの山の地主神なり、この山を司どることすでに久し… 上人よろしくこの地に円通寺を安置し、衆生を済度せよ』…
昭和38年建立された寺。 春になると二万坪の聖域では西日本隋一の約800本のぼたん桜が咲き誇り人々の心を和ませてくれます。 また、霊山の湧水を引いて造られた一心寺の滝、日本一の大きさを誇る大念仏鐘は見事です。 また、本堂には1250年ほど前の不動尊の他、2体の国宝級の仏像が安置されています。 …
昭和26年、大分市の戦後復興計画の一環として整備されました。 公園には大分の南蛮文化を紹介した彫刻などが350mにわたって設置され、市民に広く親しまれています。 ★ 遊歩公園の屋外彫刻群 ★ 聖フランシスコ・ザビエル(佐藤忠良 作) 西洋音楽発祥記念碑(富永直樹 作) 伊東ドン・マ…
昭和60年建立。 かつての笠縫島の名残である小高い丘は、現在公園になっています。 そのふもとに建つ万葉歌碑には、「四極山 打ち越え見れば 笠縫の 島こぎかくる 棚無小舟」と、当時笠縫島周辺の様子を詠んだ歌が刻まれています。
霊山からのびる丘陵の石窟に、向かって右から馬頭観音坐像・如意輪観音坐像・ 胎蔵界大日如来坐像・大威徳明王坐像・深沙大将立像が東向きに彫られています。 中でも深沙大将立像は全国的にも作例が少なく貴重です。 12世紀の終わりごろに、この一帯を開発した稙田氏によりつくられたと考えられます。 …
一本の木から咲き誇る藤の名所として知られる神社で、 フジの古木が枝を広げ、花房は長いもので1メートル以上にもなります。 西寒多神社は、応神天皇の勅命により西寒多山(本宮山)に祠を建立されたことから始まります。 その後、南北朝~室町時代の守護大名 大友親世により社殿を現在地に遷されま…