大分を代表する日本画家である福田平八郎(1892-1974)の生家跡。大分市名誉市民第一号でもあります。「雪」「鯛」で注目をあび、「漣(さざなみ)」で日本画に新しい手法をもたらしました。生家跡は現在小さな憩いの公園となっており、「鯉」「筍(たけのこ)」のレプリカが飾られています。
宇曽嶽神社について 標高640mの宇曽山頂にあり、子宝明神、虫封じの神として有名。 毎年の5月3日、5月4日、5月5日にお祭りを開催しております。
「ガランさま」「伽藍大明神」などと呼ばれている杵築神社と、小道を挟んだ向い側の崖に三つの窟龕がある。 なかにあるのが、大分市指定史跡(1974)の伽藍石仏である。 三つの石窟にある石仏は、鎌倉時代から室町時代の製作と推定されている。 大友氏時代、この一帯に太平寺という寺院(天台宗と伝えられる)…
大分元町石仏の西南約600m、龍ヶ鼻付近の崖にあります。 大分元町石仏同様に凝灰岩質で、特に岩質があらく、永年の風雨のため、 腹部から脚部に下る程侵食がはなはだしく、すでに輪郭をとどめていない像も少なくありません。 全部で十七体の磨崖仏から構成され、中央にあるひときわ大きな如来坐像(推定)…
公園の付近一帯は埋め立てられていますが、かつては浅瀬の波に洗われる美しい海浜でした。 平安時代、近くに春日神社の神宮寺という寺が建立されたところから、この名がついたといわれています。 天文年間(1532~1555)、ポルトガルや明との貿易を行った大友宗麟は、この浜辺を交易場として利用していた…
寛永18年(1641)、熊本藩主の細川光尚公の協力を得て開設。 参勤交代の際に休憩所として使われた書院、御殿など、江戸時代の伽藍をそのまま残しています。 巨大な輪蔵を内蔵する経蔵もあります。 (県指定有形文化財) …
霊山寺から歩いてすぐの場所にある霊山寺鐘撞堂は大分市街地を望める絶景ポイントです。 市街地や臨海工業地帯を見渡せる絶景がお愉しみ頂けます。
松平忠直(一伯)の墓所があることで知られる浄土宗寺院で、 文亀元年(1501)に大友氏第18代親治により、満誉覚了上人を 開山として創建されたと伝えられています。 境内にある入母屋造本瓦葺の大規模な七間堂をもつ本堂をはじめ、 庫裏、玄関及び渡廊下・大弁財天石宮・一伯広廟・表門・北門の …
上野丘台地東端の凝灰岩の崖に刻まれた石仏で、岩薬師(いわやくし)とも呼ばれてます。 昭和9年(1934)に国指定史跡となり、県南の臼杵石仏と並ぶ大分県を代表する磨崖仏です。 伝説によれば敏達(びだつ)天皇の時代に、百済から来朝した日羅の作と伝えられていますが、具体的な史実を背景にしたもの…
鶴崎の寺司の共同墓地(日豊線寺司踏切の西北方)に脇蘭室の墓があります。 墓標はほぼ楕円形をした扁平な自然石で少し青みを帯びています。 墓標の表面に蘭室の高弟帆足萬里の筆になる「文教脇先生墓」の六文字が掘り込まれています。 蘭室は明和元年(1764)5月12日に速見郡小浦(現日出町)…
千歳山と号する臨済禅刹で、鎌倉時代中期の文永年間(1264~75)に大友氏家臣の河村新五郎によって創建されたと伝えられています。 江戸初期の寛文年間(1661~73)に、妙徳禅師が入山して再興しました。 境内はこじんまりとして閑静です。境内の一角には北原白秋の歌碑もあります。…
「虎御前の供養塔」は、佐賀関街道(関往還)に面した、通称虎御前峠にあった。 付近に湧き水が見られ、通行人が休息するのに都合の良い場所であったという。 『佐賀関町史』には、五輪塔があると記載されているが、現在は見当たらない。 おそらく、その五輪塔を虎御前の供養塔と称していたと考えられる。 …