(2022/10/17更新)※関崎海星館のリニューアル工事に伴い、当面の間、ご覧いただけません。ご了承ください。 佐賀関の半島の先の方に関崎海星館があり、さらに突端に関崎稲荷神社と灯台があります。 その灯台の近くに、関崎地蔵はあります。 養老年間(717~724年)に、役小角(えん…
桜の名所としても知られ、毎年約65本ものソメイヨシノが咲き始めると、花見客で賑わいます。 満開の時期に城址の石垣に上ると、桜が絨毯のように広がって見えます。 多目的トイレも完備されています。
地元の地域づくりグループによってしめ縄が架けられており、 豊後二見ヶ浦(佐伯市)とともに、初詣の場所として知られています。 しめ縄の間から昇る朝日は、素晴らしい眺めです。 伝説では、神武天皇が東遷の途路、速吸の瀬戸において大ダコが守っていた神剣を ひろいあげ奉献した海女、黒砂(いさご…
日本でも数少ない海の上の国道を往来します。 九州と四国の国道を結ぶことから名づけられた社名が 「国道九四フェリー(こくどきゅうしフェリー)」です。 九州の佐賀関と四国の三崎を最短航路で結び、 1日16便70分間で運行します。 佐賀関のターミナルビル1階には、売店があり出発前に大…
「白黒と 争う碁洞(ごとう)劫ノ浦(幸之浦) 波より他に 打つ人なし」の句です。 肥後の殿様がこの碁石の浜で詠ったといわれるもので、白黒の碁石浜の地名をうまく織りこんで詠っています。
大分川流域で最大規模の小円墳です。 6世紀後半から7世紀初頭に造られた古墳で、横穴式石室内には家型石棺が安置されています。 大変貴重な古墳で、県指定史跡です。古墳は羨道部が長さ4m、幅1.7m、高さ1.5m、玄室は奥行2.5m、高さ2.1m。 大分市指定名木のムクノキが丑殿古墳(丑…
古宮古墳は、大分自動車道のインターチェンジから東に約1.3キロ、 椎迫丘陵の南斜面の中腹に作られた南北約12.5メートル、東西約12メートルの方墳です。 墳丘は土砂の流出などによって石室が露出している部分があるなど、本来の姿は失われています。 古墳の造られた時期については、石室の形態な…
国指定史跡。天平13年聖武天皇の詔勅によって全国に建立された国分寺のひとつで、国の史跡に指定されている。スギの大木やカシ、シイなどの樹木に囲まれた森の中にあり、寺跡には薬師堂と観音堂が立っている。全国的にみて、上野国、相模国と並んで三指に数えられる規模という。この広大な旧寺域と見られる約5万平方メー…
長濱神楽は、大分市内で最初に行われる夏まつり”長濱神社祭典”を皮切りに、各神社に奉納しています。 大分の神楽は御嶽流、深山流、浅草流、豊後流、伊勢流などがありますが、長濱神楽は、豊後流に属します。 太鼓のばちが短く、テンポが速いのが特徴です。
正保2年(1645)の創建で、行方不明だった宇佐神宮神宝の剣が発見されたことに由来する 八幡宮です。 剣が発見されたことを聞いた肥後熊本藩主細川光尚公は嫡男綱利公の誕生にあわせ、これを吉事と喜び社殿造営を命じたといわれています。 …
日本庭園風の優雅な公園内には殉教記念碑と説明板が建てられ、豊後国におけるキリシタン殉教の歴史を教えてくれる。 かつて、府内の地は国主大友宗麟が保護したため、キリスト教が目覚しく繁栄したところである。 それだけに、ひとたび禁教の嵐が吹きすさんでは、その被害も大きく県下いたる所に尊い殉教の血…
豊府の岩屋寺に鎮座したのが始まりです。 後に大友氏初代能直〔よしなお〕が国中の疾病流行退散を願って、京都の祇園社を勧請し、以来大友氏の尊崇が厚く、江戸時代に入ってからは歴代の府内藩主が崇敬しました。 江戸時代には、祇園社(祇園宮)の呼称で呼ばれていましたが、明治以後に弥栄神社と呼ばれ…