肥後(熊本県)の領主であった加藤清正公が建立した妙法蓮華経の五ケ寺のひとつです。 慶長6年(1601)、日蓮宗の信者であった清正公は、京都本圀寺常林院日榮上人を招き、法心寺を建立しました。法心寺には清正公が着用した鎧や遺品が数々残っています。 本堂の前にあるイチョウの木は大分市指定の名木…
大分市中央部の小山、松栄山の中腹に社地を構える護國神社。 明治8年創建の招魂社です。 梅と桜の名所として知られ、境内には大分県花の豊後梅を中心に約150本の梅が植えられております。 桜は約500本あり、春は美しい桜並木が続きます。 展望台からの臨海工業地帯の眺望が良く、大分市が200…
大分市街地より国道10号線の大道入口から大道トンネルを抜け、府内大橋を渡り、ホワイトロードより左折し、田尻小学校方面を道なりに登り進むと霊山寺があります。 お釈迦様が法華経を説かれた西域(インド)の霊鷲山が、この地に飛来したのではないかと伝えられる法灯1300年の古刹。御本尊は霊峰「霊山」の山中に…
大分市歴史資料館は郷土の歴史を学ぶ場、情報提供の場をめざして、さまざまな活動を行っています。 原始から近世、江戸時代を中心に、考古・歴史・民俗の各分野で、豊後(ぶんご)国分寺や中世の大友氏の時代や暮らしていた人々の民具・農具等、郷土の歴史を学べる場所です。 いろな歴史体験メニューがあり、…
大友氏400年の幕が閉じた後、豊臣秀吉は豊後国(ぶんごのくに)を七つに分割して馬廻衆(うままわりしゅう)に分け与えました。 慶長2年(1597)12万石を受封して臼杵城から府内に入った石田三成の妹婿、福原直高は、秀吉から築城の命を受け、四神相応の好地である荷落の地、現在の大分市の中心市街地にあたる…
四国の佐田岬灯台と向かい合う形で、瀬戸内海と外洋を結ぶ速吸瀬戸は、潮流は激しく渦巻き、暗礁も多く航海の難所であるが、航海の道しるべとして関埼灯台は、明治34年(1901)に設置、点灯されました。 当時の灯台は、光源に石油灯を使用していたため、電化された大正15年(1926)までは「すす」の取り…
勝海舟と坂本龍馬が九州に初めて上陸した港跡や、加藤清正公の参勤交代の街道が残る佐賀関のことを地元では「関」とも呼んでいます。 関には江戸時代の街並みが色濃く残り、昔の営みが伺える屋号や史跡の紹介があり、坂本龍馬や勝海舟が止宿した徳応寺や漁師町ならではの家並みが見学できます。 街の中心には…
半島である佐賀関では、海岸沿いの舗装された道が出来るまで、人々は険しい山道を歩いて峠越えをしていました。 江戸時代、佐賀関は肥後藩(現在の熊本県)の飛び地でした。したがって、大名行列の長い行列もこの道を通って参勤交代へ赴いていました。 文久4年(1864)、勝海舟や坂本龍馬も、この佐賀関街道…
地元の地域づくりグループによってしめ縄が架けられており、 豊後二見ヶ浦(佐伯市)とともに、初詣の場所として知られています。しめ縄の間から昇る朝日は、素晴らしい眺めです。 伝説では、神武天皇が東遷の途路、速吸の瀬戸において大ダコが守っていた神剣をひろいあげ奉献した海女、黒砂(いさご)・真砂(まさご…
アートプラザは、大分市出身の国際的建築家 磯崎 新(いそざきあらた)氏の設計により「大分県立図書館」として1966(昭和41)年に完成し、以来、多くの市民の方々に親しまれてきました。 1996年の県立図書館の新築移転に伴い、大分市は県から土地・建物を譲り受け、市民のための文化情報の交流の場「ア…
長浜神社の夏季大祭は、市内で最初に行われる夏祭りとして地元で親しまれ、毎年7月5日~7日に開催されます。「雨の長浜様」と言われる通り、例年雨になることが多いのですが、神楽や出店を目当てに連日多くの人で賑わいます。
大分市中心部に現存する明治時代の洋風建築です。 東京駅丸の内駅舎の設計で有名な辰野金吾さんと片岡安さんの辰野片岡建築事務所によって設計されました。ランタンを持つ八角形ドームの屋根は「辰野式ルネッサンス」の特徴といわれます。 内装は改築されていますが、建築当時の姿を忠実に復元された外観は、明治建築…