アートプラザは、大分市出身の国際的建築家 磯崎 新(いそざきあらた)氏の設計により「大分県立図書館」として1966(昭和41)年に完成し、以来、多くの市民の方々に親しまれてきました。 1996年の県立図書館の新築移転に伴い、大分市は県から土地・建物を譲り受け、市民のための文化情報の交流の場「ア…
長浜神社の夏季大祭は、市内で最初に行われる夏祭りとして地元で親しまれ、毎年7月5日~7日に開催されます。「雨の長浜様」と言われる通り、例年雨になることが多いのですが、神楽や出店を目当てに連日多くの人で賑わいます。
大友氏400年の幕が閉じた後、豊臣秀吉は豊後国(ぶんごのくに)を七つに分割して馬廻衆(うままわりしゅう)に分け与えました。 慶長2年(1597)12万石を受封して臼杵城から府内に入った石田三成の妹婿、福原直高は、秀吉から築城の命を受け、四神相応の好地である荷落の地、現在の大分市の中心市街地にあたる…
大分市中心部に現存する明治時代の洋風建築です。 東京駅丸の内駅舎の設計で有名な辰野金吾さんと片岡安さんの辰野片岡建築事務所によって設計されました。ランタンを持つ八角形ドームの屋根は「辰野式ルネッサンス」の特徴といわれます。 内装は改築されていますが、建築当時の姿を忠実に復元された外観は、明治建築…
開基者の豊岡清人は、寛永14年(1637)6月9日島原の乱のとき、征討のため九州に下り、翌年2月、乱は鎮圧されました。 この時、出家の意思強く、遂に真宗に帰依し、兼通と改名されました。 木佐上に来て、慶安3年(1650)8月14日、一宇を創立しました。 享保元年(1716)に8世製秀法師が…
大分市内にある「豊後国一の宮」の一つです。 平安初期の天長4年(827年)を創建の起源とし、古来より、宇佐神宮の分霊地として国司・武家などから崇敬された由緒ある神社。 安政年間に再建された本殿は見事な八幡造です。 1866年(慶応2)再建の南大門には、古今の聖人や竜、花、鳥などが刻まれ…
松平忠直(一伯)の墓所があることで知られる浄土宗寺院で、 文亀元年(1501)に大友氏第18代親治により、満誉覚了上人を 開山として創建されたと伝えられています。 境内にある入母屋造本瓦葺の大規模な七間堂をもつ本堂をはじめ、 庫裏、玄関及び渡廊下・大弁財天石宮・一伯広廟・表門・北門の …
高瀬石仏の西約1.5キロメートル、七瀬川北岸の丘陵中腹の南面にあります。 この石仏は他の石仏と異なり、外気を防ぐためか板戸を使用していたと思われる 石窟内に造顕された珍しいものです。 造立年代は鎌倉末期から室町時代にかけてと思われます。県指定史跡です。…
大分市街地より国道10号線の大道陸橋北から大道トンネルを抜け、府内大橋を渡り、ホワイトロードより左折し、田尻小学校方面を道なりに登り進むと霊山寺があります。お釈迦様が法華経を説かれた西域(インド)の霊鷲山が、この地に飛来したと伝えられる法灯1300年の古刹。九州西国観音霊場。ごゆっくりご参拝ください…
昭和26年、大分市の戦後復興計画の一環として整備されました。 公園には大分の南蛮文化を紹介した彫刻などが350mにわたって設置され、市民に広く親しまれています。 ★ 遊歩公園の屋外彫刻群 ★ 聖フランシスコ・ザビエル(佐藤忠良 作) 西洋音楽発祥記念碑(富永直樹 作) 伊東ドン・マ…
鶴賀城は、利光山にあり利光城とも呼ばれていました。 散策コースがあり、途中から未舗装になります。 城址には、のろし台跡や穀物庫跡、二の丸、三の丸などの表記があります。 本丸跡は立派な石碑があり、合戦のあった戸次川が一望できます。 …
松平忠直(一伯)卿の墓が王子西町の浄土寺境内にあります。 山門をくぐると左手に松平忠直卿の霊廟があり、霊廟の扉や蟇(かえる)股・瓦などに葵の紋が見られます。 墓石は新旧二基ありますが、正面のあたらしいものは改造したもので、「故越前国主従三位参議西巌院殿」と刻まれいてます。 もとの墓石は廟内右側…