府内に育児院が建てられた事と、育児院で牛乳が飲用されたことを祈念する彫刻です。 1557年、ポルトガルの青年医師アルメイダが、日本最初の西洋式病院を府内に建てました。 また、当時日本は戦乱が続き、貧窮から赤ん坊を殺す悪習があり、これに胸を痛めたアルメイダは自費で育児院を建て、赤ん坊を収容し、…
国史跡に指定されている県下最大級の前方後円墳である亀塚古墳。 その亀塚古墳公園内にある古墳資料館です。 出土品をはじめ、広く古墳文化を紹介しています。
大分県を代表する彫刻家で東洋のロダンとも呼ばれる朝倉文夫の作品。 昭和30年に白色セメント製で設置、昭和61年5月ブロンズに改鋳して設置しました。柔らかな女性の表情が印象的な銅像です。 (1925年帝展入選作)
平和市民公園の一角、和風庭園内に建設された文化施設。伝統文化である能楽や邦楽等に加え、市民の様々なニーズに応えられる多目的イベント会場となっている。
日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは、天文18年(1549)に来日しました。 鹿児島、平戸、山口で布教し、天文20年(1551)9月、大友宗麟の招きにより大分で布教しました。 こうして、この地は日本における宣教の中心となり、教会、孤児院、病院、学校などが次々に…
海の向こうからやってくる、様々な夢や希望や生きものたちを迎える門をイメージしてつくられている。 絵本作家荒井良二氏によるオブジェ。 周辺には カフェや雑貨屋、ダイビングショップなどがあり 散歩を楽しむこともできる。
府内は聖フランシスコ・ザビエルがこの地で布教して以来、日本で最初に西洋文化が栄えた町となりました。 弘治3年(1557)、府内教会では復活祭に聖歌隊が結成され、オルガンの伴奏で讃美歌を合唱しました。 以降、府内の町からは、美しい讃美歌の歌声が流れるようになりました。 また神父からビオラ…
海の向こうからやってくる、様々な夢や希望や生きものたちを迎える門をイメージしてつくられている絵本作家荒井良二氏によるオブジェ
下郡神楽は霜凝神社の氏子となる滝尾地区、南下郡、北下郡の住民で行われます。 五法礼氏、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)や柴引きなどの神楽が行われます。 最後の方にチャリと呼ばれる道化師が出てくる神楽を下郡神楽オリジナルとして行っております。 田植えの様子を面白おかしく演じ、当時のおおらかな雰囲気が楽…
織田信長時代の天正7年(1579)、九州のキリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は来日した宣教師のヴァリニャーノの勧めを受け、少年使節団をローマ教皇に派遣することとなりました。 13歳の伊東マンショは宗麟の正使、また少年使節団の主席正使として派遣されました。。 天正10年(1582)…
大分駅府内中央口広場に、この大友宗麟公像は設置されています。 キリシタン大名として知られる大友宗麟は、フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教に帰依し、少年使節団をローマ教皇に派遣しました。 また、西洋の文物を積極的に取り入れた街づくりを行い、当時の大分は、日本における西洋文化の発信地と…
弘治3年(1557)、府内に日本最初の西洋式病院が建ちました。 そこではポルトガルの青年医師アルメイダによって、内科はもとより、日本最初の洋式外科手術が盛んに行われました。 病院には入院の設備もあり、永禄5年(1562)には入院患者が100人を超えていました。 患者はこの新しい南蛮医術にあ…