ポスト・モダン建築を牽引した世界的建築家・磯崎新氏による建築物。1964年竣工の1号館、2号館をはじめ、竣工後増築された所もあるため、60年代、80年代、2000年代の磯崎作品から歴史を垣間見ることができる。
臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は釈迦三尊像です。 徳治元年(1306)5代大友貞親〔さだちか〕が博多(福岡市)の承天寺の僧直翁智侃禅師を 開山に請じて諸堂を建立しました。 これが開基とされ、当時禅寺五山十刹の一つに数えられて寺運は隆盛したといわれています。 天正14年(1586)、島津…
府内には顕徳〔けんとく〕町と上野に二つの大友館があります。 史料に「上原館〔うえのはるやかた〕」という名で登場する大友館は、多くの緑樹を擁する上野台地の北側にあり、中世府内町を眺望できる位置に造られていました。 顕徳町にある大友館とは異なり、現在も一部に大規模な堀跡、土塁が残り、防禦…
5世紀中頃に造られたと考えられている全長90mの前方後円墳です。 女性の首長を埋葬した、海部(あまべ)を代表する古墳の一つであり、副葬品も県指定有形文化財になっています。1932年の植林作業中に2基の緑泥片石製箱式石棺が発見され、その後の調査で4体の人骨が発見されました。 女性1体が「北…
大分駅府内中央口広場に、この大友宗麟公像は設置されています。 キリシタン大名として知られる大友宗麟は、フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教に帰依し、少年使節団をローマ教皇に派遣しました。 また、西洋の文物を積極的に取り入れた街づくりを行い、当時の大分は、日本における西洋文化の発信地と…
1300年に逝去した大友氏3代当主頼泰の墓。 現在の五輪塔は、文献から1744年以降に設置したとされる。 頼泰は豊後に入国した初の大友氏当主で、元寇の戦いなどで活躍した。 市指定史跡。
毛利空桑は名を倹、字を慎甫(しんぽ)、通称到といい、空桑と号しました。 寛政9年(1797)1月15日肥後藩医毛利太玄の第二子として、大分郡高田郷常行(現在の鶴崎常行)に生まれました。 14歳で脇蘭室に入門し、27歳の時に福岡の亀井昭陽に学びました。28歳で郷里に帰り、家屋を建て居宅を三…
天台宗本宮山大山寺は、天長7年(830)宇佐八幡を勧請し、豊後一宮である柞原八幡宮を創立した金亀和尚によって開かれたと伝えられています。 国の指定重要文化財である、木造普賢延命菩薩坐像(もくぞうふげんえんめいぼさつざぞう)は、元々柞原八幡宮境内の普賢堂の本尊でしたが、明治初年の神仏分離の際、大山寺…
約500年前、九州地方で初めて浄土真宗の教えを伝えた天然上人(天然浄祐1442-1506)のお墓の場所が、東明野の天然町となっており、この地は天然塚と呼ばれています。 公園内は自然に囲まれ、広いグランド、ウォーキングコースがあり、周辺住民の憩いの公園となっています。
南蛮BVNGO交流館は”宗麟の生きた時代を体験できる施設”を コンセプトに、大友氏遺跡や大友宗麟の功績について、工夫を 凝らした展示や迫力のある映像等で紹介する施設です。 4つのゾーンがあり、それぞれ興味のあるゾーンで歴史体験を 楽しめます。 また、展望デッキか…
天文20年(1551)、宗麟の招きによって豊後府内を訪れたイエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエルは宗麟の許可を得てキリスト教の布教活動を始めました。 天文22年(1553)には府内教会(デウス堂)が建てられ、毎日ミサとともに 少年合唱隊がオルガンやビオラに合わせて聖歌を歌ったり、宗教劇…
別府市との境界近くにあり、「おさるの山」として有名な標高628mの高崎山の山頂に築かれています。 文和4年(1355)、足利尊氏にしたがって北朝に属した8代大友氏時に対して、南朝の懐良親王軍が日田から攻め込み、玖珠、由布、狭間を経て、国府(大分市)をおそいました。 この攻撃に大友館はひと…