大分市歴史資料館は郷土の歴史を学ぶ場、情報提供の場をめざして、さまざまな活動を行っています。 原始から近世、江戸時代を中心に、考古・歴史・民俗の各分野で、豊後(ぶんご)国分寺や中世の大友氏の時代や暮らしていた人々の民具・農具等、郷土の歴史を学べる場所です。 いろな歴史体験メニューがあり、…
松平忠直は徳川家康の孫で、13歳で越前国北庄(福井)藩主になった人物です。大阪夏の陣に大きな軍功を挙げましたが、少ない恩賞に不満が募ったこともあり、酒色におぼれて参勤交代を怠たり、家臣や領民を殺害するなどの乱行が目立つようになったといいます。幕府は、他の大名へのみせしめもあって、1623年に忠直を処…
1501年(文亀元)に創建された浄土宗西山派の寺院。 開祖・文忠梵英榮(もんちゅうぼんえい)上人が仏道修行のために、諸国を巡った折に豊後国を訪れたところ、その徳のすぐれた人望に深く感動した大友氏第18代親冶(ちかはる)が、上人を府内町に引きとめて建立した寺です。 それ以来500年以上この地にあり…
大分市の南西、賀来川のつくる河川段丘上に、千代丸古墳と称する横穴式石室古墳があります。 もともと封土は完全な盛土であるが、周囲が削り取られ、墳頂付近の封土も著しく流失して、いまはそれもわずかに石室を覆う程度に存在するだけです。 壁画が描かれており、画法はごく原始的で、人物、獣類を線であら…
元町石仏より北に約300m、県立芸術文化短期大学の東側崖地に大臣塚〔だいじんづか〕と呼ばれる前方後円墳(全長約50m、後円部が直径約35m、高さ約13m)があります。 この古墳は、崖際にあるため、保存状況はあまりよくありませんが、後円部は完全に残っています。大臣塚という名称は古くから地元に伝わ…
広徳山万弘寺は、坂ノ市市街地の中心部にある小さな寺であるが、用明天皇の御病気平癒の祈願所として創建されたといわれる県下でも最も古い寺です。当時は用明天皇御祈願の霊地として仏徳高く、信者の礼拝は数万を越えたと言われたが、度々の火災によって寺の規模も縮小され、現在の小庵となりました。現在の建物は昭和…
幕末から明治にかけて活躍した、鶴崎出身の儒学者・毛利空桑の関連資料を集めた記念館です。 旧宅である天勝堂や、約900人の門下生を指導した私塾「知来館」の見学ができます。 空桑の著作や詩作などの遺品を収蔵・展示しています。 ※毎月展示品が変わります。 …
建久7年(1195年)大友氏初代当主の能直が、源氏の氏神を祀る鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊したと伝えられるお宮です。大友氏の氏神として歴代当主の厚い信仰を受け、21代当主の大友宗麟も神殿を修繕しています。 境内には御神木が並び、中央に御神霊を奉る神殿、子ども守護の樽神社や神楽殿が鎮座しています。 …
曲石仏は、森岡小学校門前にある市の揚水場から幅30センチ程の林の中にある道を約70メートルほど下ると小さな広場があり、ここの南面の石窟の中にあります。 石仏は、向かって左の石窟は阿弥陀三尊像で、中尊は上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)を結び鱗型四段葺の蓮華座の上に坐し、向かって右が観音菩…
上野墓地公園の東側にある階段を下り、県立大分上野丘高校に行く途中、律院にある大きな寺院が真言宗の清龍山金剛宝戒です。 元々、大分市羽屋(はや)にありましたが、6代大友貞宗〔さだむね〕が、同地域は低地で水害の恐れがあるとして、徳治2年(1307)、現地に大伽藍を移転したといわれています。 この…
県指定史跡。築造年代3~4世紀のもので、市内では最も古い前方後円墳といわれている。
平和市民公園の中にある庭園で、大分市と友好都市の中国武漢市の締結5周年を記念して建設されました。 中国古典建築で作られた庭園(別名:国際交流広場)は、梅の名所としても知られ、市民に親しまれています。