千歳山と号する臨済禅刹で、鎌倉時代中期の文永年間(1264~75)に大友氏家臣の河村新五郎によって創建されたと伝えられています。 江戸初期の寛文年間(1661~73)に、妙徳禅師が入山して再興しました。 境内はこじんまりとして閑静です。境内の一角には北原白秋の歌碑もあります。…
「虎御前の供養塔」は、佐賀関街道(関往還)に面した、通称虎御前峠にあった。 付近に湧き水が見られ、通行人が休息するのに都合の良い場所であったという。 『佐賀関町史』には、五輪塔があると記載されているが、現在は見当たらない。 おそらく、その五輪塔を虎御前の供養塔と称していたと考えられる。 …
【レストラン「桃花流水」】 大正5年、蔵から洋館へと姿を変えた洋館は、当時は来客の応接室として使われていました。現在は、レストランとして、営業しています。 大分市戸次地区は、肥沃な土地に恵まれ、特にごぼうの産地として知られています。レストランでは、名産のごぼうと発酵を主にした「元気が出る発酵ごぼ…
松平忠直(一伯)卿の墓が王子西町の浄土寺境内にあります。 山門をくぐると左手に松平忠直卿の霊廟があり、霊廟の扉や蟇(かえる)股・瓦などに葵の紋が見られます。 墓石は新旧二基ありますが、正面のあたらしいものは改造したもので、「故越前国主従三位参議西巌院殿」と刻まれいてます。 もとの墓石は廟内右側…
高瀬石仏の西約1.5キロメートル、七瀬川北岸の丘陵中腹の南面にあります。 この石仏は他の石仏と異なり、外気を防ぐためか板戸を使用していたと思われる 石窟内に造顕された珍しいものです。 造立年代は鎌倉末期から室町時代にかけてと思われます。県指定史跡です。…
約1600年前に活躍した海部民(あまべのたみ)の首長が築いたとされる古墳です。 国史跡に指定されている県下最大級の前方後円墳で、中心に海部古墳資料館などがあります。
鶴賀城は、利光山にあり利光城とも呼ばれていました。 散策コースがあり、途中から未舗装になります。 城址には、のろし台跡や穀物庫跡、二の丸、三の丸などの表記があります。 本丸跡は立派な石碑があり、合戦のあった戸次川が一望できます。 …
※令和5年7月末まで修理を行っております。(令和5年3月7日更新) 大分県の代表的な直家(平面が長方形)で、18世紀後半に建築されたとみられ、 大分市最古の民家です。 茅葺寄棟造りで、西面しており、土間・板の間・広間、座敷と並び広間の裏側に 小部屋2室を置いています。 県下では年代の古…
九六位山の頂上近くにひっそりとたたずむ円通寺。 古文書に記された由来記によると 「異形の人イノシシに乗りに来たり、九六位山開山の沙門日羅上人に告げて曰く 『われはこの山の地主神なり、この山を司どることすでに久し… 上人よろしくこの地に円通寺を安置し、衆生を済度せよ』…
昭和38年建立された寺。 春になると二万坪の聖域では西日本隋一の約800本のぼたん桜が咲き誇り人々の心を和ませてくれます。 また、霊山の湧水を引いて造られた一心寺の滝、日本一の大きさを誇る大念仏鐘は見事です。 また、本堂には1250年ほど前の不動尊の他、2体の国宝級の仏像が安置されています。 …
昭和26年、大分市の戦後復興計画の一環として整備されました。 公園には大分の南蛮文化を紹介した彫刻などが350mにわたって設置され、市民に広く親しまれています。 ★ 遊歩公園の屋外彫刻群 ★ 聖フランシスコ・ザビエル(佐藤忠良 作) 西洋音楽発祥記念碑(富永直樹 作) 伊東ドン・マ…
昭和60年建立。 かつての笠縫島の名残である小高い丘は、現在公園になっています。 そのふもとに建つ万葉歌碑には、「四極山 打ち越え見れば 笠縫の 島こぎかくる 棚無小舟」と、当時笠縫島周辺の様子を詠んだ歌が刻まれています。