広徳山万弘寺は、坂ノ市市街地の中心部にある小さな寺であるが、用明天皇の御病気平癒の祈願所として創建されたといわれる県下でも最も古い寺です。当時は用明天皇御祈願の霊地として仏徳高く、信者の礼拝は数万を越えたと言われたが、度々の火災によって寺の規模も縮小され、現在の小庵となりました。現在の建物は昭和…
幕末から明治にかけて活躍した、鶴崎出身の儒学者・毛利空桑の関連資料を集めた記念館です。 旧宅である天勝堂や、約900人の門下生を指導した私塾「知来館」の見学ができます。 空桑の著作や詩作などの遺品を収蔵・展示しています。 ※毎月展示品が変わります。 …
貞観2年(860年)に国司・藤原朝臣世数が、奈良の春日大社の四所大神をお迎えしたとされる、県内有数の古社です。 大分市中心部に位置する境内は約8000坪あり、参道左右の大クスに代表される緑あふれる憩いの杜になっています。 ~春日神社の四祭神~ ・竹武甕槌命(たけみかづちのみこと)…
嘉慶元年(1387)11代大友親著〔ちかあき〕が一寺を創建して、万寿寺に在住していた獨芳清曇師を開山として招じたといわれています。 明応2年(1493)、17代大友義右〔よしすけ〕が修理を加え、京都南禅寺の才伯禅師を招じて住持としました。 義右は、大智寺に葬られたとされますがその墓は現存…
岩屋寺石仏から背後の丘を切り開いて作った道路を、北に約150M登った上野丘台地東端の見晴らしのよいところにあります。 この寺は大友氏の崇敬あつく、5代大友貞親〔さだちか〕が嘉元3年(1305)、比叡山より道勇和尚を招いて中興の祖とするとともに、総社山の山号がつけられたといいます。 さらに…
県指定史跡。築造年代3~4世紀のもので、市内では最も古い前方後円墳といわれている。
平和市民公園の中にある庭園で、大分市と友好都市の中国武漢市の締結5周年を記念して建設されました。 中国古典建築で作られた庭園(別名:国際交流広場)は、梅の名所としても知られ、市民に親しまれています。
ポスト・モダン建築を牽引した世界的建築家・磯崎新氏による建築物。1964年竣工の1号館、2号館をはじめ、竣工後増築された所もあるため、60年代、80年代、2000年代の磯崎作品から歴史を垣間見ることができる。
臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は釈迦三尊像です。 徳治元年(1306)5代大友貞親〔さだちか〕が博多(福岡市)の承天寺の僧直翁智侃禅師を 開山に請じて諸堂を建立しました。 これが開基とされ、当時禅寺五山十刹の一つに数えられて寺運は隆盛したといわれています。 天正14年(1586)、島津…
府内には顕徳〔けんとく〕町と上野に二つの大友館があります。 史料に「上原館〔うえのはるやかた〕」という名で登場する大友館は、多くの緑樹を擁する上野台地の北側にあり、中世府内町を眺望できる位置に造られていました。 顕徳町にある大友館とは異なり、現在も一部に大規模な堀跡、土塁が残り、防禦…
5世紀中頃に造られたと考えられている全長90mの前方後円墳です。 女性の首長を埋葬した、海部(あまべ)を代表する古墳の一つであり、副葬品も県指定有形文化財になっています。1932年の植林作業中に2基の緑泥片石製箱式石棺が発見され、その後の調査で4体の人骨が発見されました。 女性1体が「北…
大分駅府内中央口広場に、この大友宗麟公像は設置されています。 キリシタン大名として知られる大友宗麟は、フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教に帰依し、少年使節団をローマ教皇に派遣しました。 また、西洋の文物を積極的に取り入れた街づくりを行い、当時の大分は、日本における西洋文化の発信地と…