長曽我部信親は、安土桃山時代の武将で、土佐国の戦国大名である長曽我部元親の嫡男です。
天正14年(1586)12月、豊後へ侵入した薩摩の島津家久の軍勢と、豊後を死守しようとする大友宗麟・義統父子による戸次川の戦いがありました。
大友宗麟を助ける豊後・四国連合軍には、長曽我部元親・信親父子の他、十河存保・仙石秀久も参加。奮闘したものの、島津軍の伏兵に会った連合軍は大敗し、信親は22歳の若さで戦死してしまいました。
戦後、信親の勇猛な戦いぶりに島津勢の新納忠元は涙を流して弔意を表し、遺骸と武具を返還したと伝わっています。
墓は、国道10号線から少し東に入った小高い岡の上にあります。ここから大野川沿いの戸次河原を見下ろすことができます。
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