鶴崎の寺司の共同墓地(日豊線寺司踏切の西北方)に脇蘭室の墓があります。
墓標はほぼ楕円形をした扁平な自然石で少し青みを帯びています。
墓標の表面に蘭室の高弟帆足萬里の筆になる「文教脇先生墓」の六文字が掘り込まれています。
蘭室は明和元年(1764)5月12日に速見郡小浦(現日出町)に生まれ、26歳の時に小浦に塾を開き、塾名を菊園といいました。
寛政10年(1798)35歳の時肥後藩に招かれて熊本城に赴き、藩学時習館の訓導となりました。
文化11年(1814)11月3日、51歳の時に亡くなりました。(県指定史跡です。)
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