毛利空桑は名を倹、字を慎甫(しんぽ)、通称到といい、空桑と号しました。
寛政9年(1797)1月15日肥後藩医毛利太玄の第二子として、大分郡高田郷常行(現在の鶴崎常行)に生まれました。
14歳で脇蘭室に入門し、27歳の時に福岡の亀井昭陽に学びました。28歳で郷里に帰り、家屋を建て居宅を三畏館、塾を知来館と称しました。
吉田松陰や、斉藤監物などが来訪し、空桑に意見を求めたといいます。
文学と武術の教鞭をとり、多くの青少年に日本の形勢を説き、明治17年12月22日88歳で没しました。
県指定史跡となっています。
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