嘉慶元年(1387)11代大友親著〔ちかあき〕が一寺を創建して、万寿寺に在住していた獨芳清曇師を開山として招じたといわれています。
明応2年(1493)、17代大友義右〔よしすけ〕が修理を加え、京都南禅寺の才伯禅師を招じて住持としました。
義右は、大智寺に葬られたとされますがその墓は現存しません。
天正14年(1586)の島津軍の府内侵入の際にも戦火を免れました。
境内に御影石造の山弥長者の逆修塔という大きな宝篋印塔〔ほうきょういんとう〕があります。
山弥長者は実在の人物で、守田山弥之助氏定〔もりたさんやのすけうじさだ〕といい、豊後府内に住んで大富豪となりましたが、正保4年(1647)時の城主日根野吉明に背いた理由でとがめられ、、一族5人が一坑(同じ穴)に埋められたといわれています。
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