大分の郷土料理として愛される鶏飯。江戸時代の末期ごろ、吉野の地区の猟師が、雉や鳩などの鳥肉を使い作ったのが始まりとされています。吉野の鶏めしは、ひとつひとつが手作りで、しっかりと作られており、大分市内のデパートやスーパーなどで、買って味わうことができます。
大分市端登五柱神社に伝わる深山流伊与床神楽は、明治14年大野郡朝地町深山八幡社から当地に秘伝書と共に伝授され、戦前戦後を通じ途切れることなく継承してきました。 平成12年6月、大分市指定無形民俗文化財に指定されました。
戸次川の古戦場跡には、武将・長曽我信親(ちょうそかべ のぶちか)の墓があります。旧存の碑が破損したため、西村亮吉(元 大分県知事)が新しく建設したものです(明治22年建立)。
長曽我部信親は、安土桃山時代の武将で、土佐国の戦国大名である長曽我部元親の嫡男です。 天正14年(1586)12月、豊後へ侵入した薩摩の島津家久の軍勢と、豊後を死守しようとする大友宗麟・義統父子による戸次川の戦いがありました。 大友宗麟を助ける豊後・四国連合軍には、長曽我部元親・信親父子の他…
吉野梅まつりで有名な吉野梅園の近くに宮尾という地域があり、そこに高尾神社はあります。
鶴賀城は、利光山にあり利光城とも呼ばれていました。 散策コースがあり、途中から未舗装になります。 城址には、のろし台跡や穀物庫跡、二の丸、三の丸などの表記があります。 本丸跡は立派な石碑があり、合戦のあった戸次川が一望できます。 …
カフェ「桃花流水」 テーブルと脚は酒造りで使われた酒樽の蓋とせいろを使用するなど、什器や家具、装飾に至るまで帆足家に代々伝わるものをしつらえています。 かつての文人墨客が愉しんだ遊び心溢れるサロンの雰囲気をそのままに。 帆足本家がその才能を認め、パトロン的存在となった江戸時代の文人…
【レストラン「桃花流水」】 大正5年、蔵から洋館へと姿を変えた洋館は、当時は来客の応接室として使われていました。現在は、レストランとして、営業しています。 大分市戸次地区は、肥沃な土地に恵まれ、特にごぼうの産地として知られています。レストランでは、名産のごぼうと発酵を主にした「元気が出る発酵ごぼ…