豊後梅、青軸梅、白加賀(しろかが)梅、寒紅梅、臥龍梅などの梅が約450本があり大分県でも梅の名所となっています。 吉野梅まつりが毎年2月中旬から3月中旬に行われ、臥龍梅太鼓・吉野棒術・佐柳獅子舞・相撲甚句・茶会・郷土神楽などが催されます。
<吉野臥龍梅の由来> 建久三年(1192年)京都より藤原信近がこの地に住んだ。その一子近里はある日山に薪を取りに行き誤って右脛を折った。たまたま異相の翁に逢い、その教えにより筑前(福岡県)大宰府に17日間参籠した。 満願の夜、夢の中に貴顕の士(菅原道真公)が現れ梅花一枝を賜った。近里はこれを持ち帰…
大分の郷土料理として愛される鶏飯。江戸時代の末期ごろ、吉野の地区の猟師が、雉や鳩などの鳥肉を使い作ったのが始まりとされています。吉野の鶏めしは、ひとつひとつが手作りで、しっかりと作られており、大分市内のデパートやスーパーなどで、買って味わうことができます。
大分市端登五柱神社に伝わる深山流伊与床神楽は、明治14年大野郡朝地町深山八幡社から当地に秘伝書と共に伝授され、戦前戦後を通じ途切れることなく継承してきました。 平成12年6月、大分市指定無形民俗文化財に指定されました。
戸次川古戦場跡は、天正14年(1587)、島津の大軍が豊後に侵入した際、大友・四国連合軍が迎え撃ち、激戦が行われた場所です。この戦いで討死した四国からの援軍の将、長宗我部信親(ちょうそかべ のぶちか)の墓が戸次川を臨む台地の上につくられています。
長曽我部信親は、安土桃山時代の武将で、土佐国の戦国大名である長曽我部元親の嫡男です。 天正14年(1586)12月、豊後へ侵入した薩摩の島津家久の軍勢と、豊後を死守しようとする大友宗麟・義統父子による戸次川の戦いがありました。 大友宗麟を助ける豊後・四国連合軍には、長曽我部元親・信親父子の他…
吉野梅まつりで有名な吉野梅園の近くに宮尾という地域があり、そこに高尾神社はあります。
鶴賀城は、利光山にあり利光城とも呼ばれていました。 散策コースがあり、途中から未舗装になります。 城址には、のろし台跡や穀物庫跡、二の丸、三の丸などの表記があります。 本丸跡は立派な石碑があり、合戦のあった戸次川が一望できます。 …