【レストラン「桃花流水」】 大正5年、蔵から洋館へと姿を変えた洋館は、当時は来客の応接室として使われていました。現在は、レストランとして、営業しています。 大分市戸次地区は、肥沃な土地に恵まれ、特にごぼうの産地として知られています。レストランでは、名産のごぼうと発酵を主にした「元気が出る発酵ごぼ…
平成11年度からクラブ活動として4、5、6年生が伊与床五柱神社神楽社の楽員の方々に学んでいます。 「五方礼始」「武者」「平国」の3つの演目を公演しています。
豊後梅、青軸梅、白加賀(しろかが)梅、寒紅梅、臥龍梅などの梅が約450本があり大分県でも梅の名所となっています。 吉野梅まつりが毎年2月中旬から3月中旬に行われ、臥龍梅太鼓・吉野棒術・佐柳獅子舞・相撲甚句・茶会・郷土神楽などが催されます。
<吉野臥龍梅の由来> 建久三年(1192年)京都より藤原信近がこの地に住んだ。その一子近里はある日山に薪を取りに行き誤って右脛を折った。たまたま異相の翁に逢い、その教えにより筑前(福岡県)大宰府に17日間参籠した。 満願の夜、夢の中に貴顕の士(菅原道真公)が現れ梅花一枝を賜った。近里はこれを持ち帰…
大分の郷土料理として愛される鶏飯。江戸時代の末期ごろ、吉野の地区の猟師が、雉や鳩などの鳥肉を使い作ったのが始まりとされています。吉野の鶏めしは、ひとつひとつが手作りで、しっかりと作られており、大分市内のデパートやスーパーなどで、買って味わうことができます。
大分市端登五柱神社に伝わる深山流伊与床神楽は、明治14年大野郡朝地町深山八幡社から当地に秘伝書と共に伝授され、戦前戦後を通じ途切れることなく継承してきました。 平成12年6月、大分市指定無形民俗文化財に指定されました。
戸次川の古戦場跡には、武将・長曽我信親(ちょうそかべ のぶちか)の墓があります。旧存の碑が破損したため、西村亮吉(元 大分県知事)が新しく建設したものです(明治22年建立)。
長曽我部信親は、安土桃山時代の武将で、土佐国の戦国大名である長曽我部元親の嫡男です。 天正14年(1586)12月、豊後へ侵入した薩摩の島津家久の軍勢と、豊後を死守しようとする大友宗麟・義統父子による戸次川の戦いがありました。 大友宗麟を助ける豊後・四国連合軍には、長曽我部元親・信親父子の他…